栗駒山
'2008-06-15 22:48:46')
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つれづれ
こんばんは、玉川屋呉服店の石井貴彦です。
一昨日の朝、自宅にいる時にゆっくりとしたでも随分と長い揺れを感じて家族に声をかけました。
立ち仕事をしていた家内は気付いていないようだったのですが
テレビを付けてみると地震速報が流れていました。
震度6の大きな地震だったようですが、当初はまだ大きな被害も報道されておりませんでした。
4年前の、新潟地震の時には東京でも随分大きな揺れを感じ
すぐに知り合いの機屋さんや買い継ぎ屋さんに電話をしてみたのですが
まったく通じないような状況でした。
お店にいる間に、色々なニュース等で地震の被害が報道されるようになりましたが
その一つに、「山が丸ごと一つ崩れてしまった・・」という風に
荒砥沢ダム付近での大規模な山崩れの写真や映像も映されておりました。
所在地で言うと、宮城県栗原市栗駒文字荒砥沢という所になるのですが
宮城県の栗駒山の山麓にあたります。
その付近は、「正藍冷染」という昔のままの素朴な藍の染め方を今でも受け継ぐ
千葉よしのさんのお宅のそばでもあり、地図を見てみると
このダムに続く道の途中でありました。
2年前には、私と父とでその工房を見学に伺った事があり
深い山の緑に囲まれて、自分の畠で藍や麻を育て、家の前を流れる川の水で生地を洗い・・
そんな景色を思い出しました。
工房を見学にお伺いした時の様子は、玉川屋のHPの中でもご紹介させて頂きましたが
着物つれづれなるままに 2006年6月18日・・・< クリックしてご覧下さい >
被害の伝えられる山間部から10キロに満たない距離でもあり、
私の叔父が、染めのお手伝いに、
数日前から千葉さんのお宅にお伺いをしているはずでもありました。
私の叔父は、若い頃から日本全国の織物の産地を巡っておりまして
そんなご縁でいまだに毎年、藍建てが終わり、染めの工程に入る頃の6月に
千葉さんのお手伝いにお伺いをしております。
上の工房の見学の折りのお話にも書きましたが、
正藍冷染は、熱を加えて藍を発酵させる通常の藍染めとはまた違い
自然の気温の上昇に合わせて、藍を発酵させて染液を作ってまいります。
自然のままに発酵を進めますので、その年その年の藍の具合、気温、湿度・・
そういった諸条件によって藍の具合も替わりますので、
染めを始める日も直前になって決まってまいります。
通常の染めですと、
「○月○日に、●●の工程を」と段取りするのでしょうが、
正藍冷染の場合は藍の発酵の具合によって「そろそろ来週の初めくらいが良いかな」
といった感じで染めを始める日が決まってくるそうです。
そんなことで6月の初めに、
「明後日から栗駒へ向かうけれども、今年も一緒にゆきませんか?」と
叔父からも声をかけてもらったのですが、
いかんせん夏の着物のご用が一番忙しい時期ともあって
残念ながらお断りをした所でした。
叔父の所に連絡を入れると、現地からはちょうど地震の前日に帰ってきたとの事で
千葉さんのお宅も、木桶(こが)の藍水がこぼれたくらいだそうで
お体もお家も工房も大丈夫と聞いて、ホッとした所でもありました。
正藍冷染は、その素朴な染め方から
「こが」と呼ばれる木桶に一杯分ほどの藍の染液で
染められる分の生地だけを染めてまいります。
写真の中では、藍で染めたばかりの生地は青では緑に見えますが
この生地が空気に触れる事によって、ページの上の方にある写真のように
深い藍へと発色が進むのです。
本来は、自分がちが使うための日常の衣を作る自給自足の為の仕事だった事と思います。
そんな、生業としての染めだからこそ、だんだんに伝える方も少なくなり
今では千葉家一軒のみが受け継ぐ技法となっております。
(先代の「千葉あやの」さんは昭和30年に人間国宝に指定されており、
正藍冷染は現在も宮城県の無形文化財に指定されております)
今では、白山や上布など質の良い生地にお染めを致しますため
とても素朴な雰囲気ながら、爽やかな綺麗な色目の藍に染め上がります。
以前の新潟地震の時に、
やはり小千谷や十日町といった越後の織り物の産地の事を書かせて頂きました。
着物つれづれなるままに 2005年1月16日・・・< クリックしてご覧下さい >
そのときにも、「こんな所で織物は作られていたんですね・・」と、
お客様からも随分お声をかけられました。
着物の仕事をしていると、単にビジネスとしての仕事ではなく
「生業(なりわい)」と言う事をよく考えます。
辞書で引いてしまうと「生計をたてるための職業」といった表現になってしまうのですが
単に職業やビジネスとしてだけではない、
自分のするべき仕事・・としての「生業」、そんな事を思うのです。
なにかとても漠然とした表現になってしまって
思っております事が、お読み下さる方に伝わっているかが "?" なのではありますが、
お客様にとっての、着物の窓口としての呉服屋からすると
"自分の仕事を、生業や家業や天職として・・" そんな思いを持って携わる人が
作り手さんから仕立屋さんや染み抜きの職人さんまで、
しっかりと一緒に手を取り合って行く事がとても大事な事なのであります。
小千谷の麻のお品も、数年前の地震の頃からずいぶんと状況が変わりつつあります。
実際に、一時代前には当然のように沢山あった
よい職人さんやお品が少なくなりつつあるのも現実はありますが、
自分の仕事を「生業」として努力している、
若い同じ世代の方も周りには増えてきています。
そんな事を思うのが、こんな機会である事は残念な事ではありますが
それぞれの職に携わる人の思いを、しっかりと皆様にお伝えをして行く事の大切さを
あらためて感じる所でもあります。
今の季節を楽しみたい・・玉川屋のホームページへは、こちらから