亀戸天神の藤の花
'2008-05-06 01:32:14')
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つれづれ
おはようございます、玉川屋呉服店の石井貴彦です。
この5月の連休、久しぶりに数日続いてのお休みをさせて頂きました。
菅原道真公をお祀りする九州太宰府天満宮に対して
東の宰府の「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」として広く知れわたり、
藤の花の名所として多くの方々に親しまれている、
亀戸天満宮にいってまいりました。

久しぶりにお天気の良いお休みということもあり
境内は進むのも大変なくらいのとても人手でした。
とはいえ、JRと地下鉄の「錦糸町」の駅から歩いて向かったのですが
駅を出る時にはとても沢山の人の流れで、
さすが、花の見頃の季節ということもありみんな亀戸天満宮へゆくのかと思っておりましたら
数年ぶりに出た駅前には、「オリナス」という大きな再開発の商業ビルがあり
ほとんどの人はそのモールへと向かってゆく人だったのです。
ちょっと寂しく思いながらも、亀戸天神に向かうと
近づくにつれて、少なかった人の流れも増えてきて
正門の前ではこんな感じで、

いざ、参道に入ってみると最初の写真のような賑やかな人の出で、
ついさっきのモールの人手に比べると、
ご年配の人が多いのかなと、申し訳ないながら思っていたのですが
いざ、境内に入って居みると若い年代から上のご年代まで
きれいな藤に感激している声を聞いて、ちょっと嬉しくもなってまいりました。

亀戸天神のご縁起をみてみると、
正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公
(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの
飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、
遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村に
たどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
と記されております。
さらに、
明暦大火の後、この地を徳川幕府は隅田川東岸の興開発事業の土地とさだめ、
天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様として
お祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、
社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを造営されたのを起源としております。
以来、約350年後の今日まで亀戸天満宮とも称され
東京の、文化・学問の神として尊い信仰を集め
また、春の梅、薫風薫る季節の藤、そして秋の聞くなど
季節折々の行楽の名所としても、広く崇敬されるようになってまいりました。

橋を、歩く人のの多さははこんな感じ、

そして、橋の上からの人のではこんな感じでした。

本堂へは、沢山の人がお参りをしながらも
季節の良い陽気と共に、すがすがしさを感じられる
一枝の藤がとても綺麗に感じられました。

本殿の左側には写真の牛の像があります。
なんで、牛の像・・とも思いますが、
道真公のご誕生が丑の年であることや、牛の鳴き声で刺客の危険から逃れたこと、
また、「自分のみを京都に帰すことを願わぬ」とう遺言により、ご遺体を納めた牛車が、
四堂という地にさしかかると牛が歩みを止めて動こうとしないことから、
この地を太宰府天満宮の起源とされ、さらにはこの年が丑年に当たること・・・といった
牛にまつわる御神縁が多いことから、
以来、牛は天神様の神使として厚く神超されているそうです。

そんな牛の像は、ご利益を賜りたい方が撫でているうちに
写真のようになっています。
一緒に行った、うちの娘達も一生懸命お参りしておりました。
学業成就の絵馬なども、たくさん飾られておりました。

東京にいながらも、なかなか毎年足を運べる事も出来ないのですが
その季節らしい趣きたっぷりの時期のいってみると
まだまだ、身近にも良い所が沢山あることを、再確認する事が出来ます。
着物の図案や柄行での、季節感や景色も楽しいながら
じっさいの花や風景はまた本来の季節感をあらためて感じさせてくれます。
それが、また品創りの想いへと続いて、リアルな花や季節とは違う、
身に装おう着物ならではの趣きに表現出来るのだと思います。
季節の移り変わりや、楽しさを
着物の色や柄、そしてのそのコーディネートで
楽しんで頂くお手伝いの楽しさを思いながら
春から初夏への、心地よい陽気の一日を楽しんでまいりました。
今の季節を楽しみたい・・玉川屋のホームページへは、こちらから
この5月の連休、久しぶりに数日続いてのお休みをさせて頂きました。
菅原道真公をお祀りする九州太宰府天満宮に対して
東の宰府の「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」として広く知れわたり、
藤の花の名所として多くの方々に親しまれている、
亀戸天満宮にいってまいりました。

久しぶりにお天気の良いお休みということもあり
境内は進むのも大変なくらいのとても人手でした。
とはいえ、JRと地下鉄の「錦糸町」の駅から歩いて向かったのですが
駅を出る時にはとても沢山の人の流れで、
さすが、花の見頃の季節ということもありみんな亀戸天満宮へゆくのかと思っておりましたら
数年ぶりに出た駅前には、「オリナス」という大きな再開発の商業ビルがあり
ほとんどの人はそのモールへと向かってゆく人だったのです。
ちょっと寂しく思いながらも、亀戸天神に向かうと
近づくにつれて、少なかった人の流れも増えてきて
正門の前ではこんな感じで、

いざ、参道に入ってみると最初の写真のような賑やかな人の出で、
ついさっきのモールの人手に比べると、
ご年配の人が多いのかなと、申し訳ないながら思っていたのですが
いざ、境内に入って居みると若い年代から上のご年代まで
きれいな藤に感激している声を聞いて、ちょっと嬉しくもなってまいりました。

亀戸天神のご縁起をみてみると、
正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公
(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの
飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、
遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村に
たどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
と記されております。
さらに、
明暦大火の後、この地を徳川幕府は隅田川東岸の興開発事業の土地とさだめ、
天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様として
お祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、
社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを造営されたのを起源としております。
以来、約350年後の今日まで亀戸天満宮とも称され
東京の、文化・学問の神として尊い信仰を集め
また、春の梅、薫風薫る季節の藤、そして秋の聞くなど
季節折々の行楽の名所としても、広く崇敬されるようになってまいりました。

橋を、歩く人のの多さははこんな感じ、

そして、橋の上からの人のではこんな感じでした。

本堂へは、沢山の人がお参りをしながらも
季節の良い陽気と共に、すがすがしさを感じられる
一枝の藤がとても綺麗に感じられました。

本殿の左側には写真の牛の像があります。
なんで、牛の像・・とも思いますが、
道真公のご誕生が丑の年であることや、牛の鳴き声で刺客の危険から逃れたこと、
また、「自分のみを京都に帰すことを願わぬ」とう遺言により、ご遺体を納めた牛車が、
四堂という地にさしかかると牛が歩みを止めて動こうとしないことから、
この地を太宰府天満宮の起源とされ、さらにはこの年が丑年に当たること・・・といった
牛にまつわる御神縁が多いことから、
以来、牛は天神様の神使として厚く神超されているそうです。

そんな牛の像は、ご利益を賜りたい方が撫でているうちに
写真のようになっています。
一緒に行った、うちの娘達も一生懸命お参りしておりました。
学業成就の絵馬なども、たくさん飾られておりました。

東京にいながらも、なかなか毎年足を運べる事も出来ないのですが
その季節らしい趣きたっぷりの時期のいってみると
まだまだ、身近にも良い所が沢山あることを、再確認する事が出来ます。
着物の図案や柄行での、季節感や景色も楽しいながら
じっさいの花や風景はまた本来の季節感をあらためて感じさせてくれます。
それが、また品創りの想いへと続いて、リアルな花や季節とは違う、
身に装おう着物ならではの趣きに表現出来るのだと思います。
季節の移り変わりや、楽しさを
着物の色や柄、そしてのそのコーディネートで
楽しんで頂くお手伝いの楽しさを思いながら
春から初夏への、心地よい陽気の一日を楽しんでまいりました。
今の季節を楽しみたい・・玉川屋のホームページへは、こちらから